横浜と下水道   下水道展を開催する横浜の下水道のはじまりや現在の取り組みについて紹介します。(協力:横浜市環境創造局)

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近代下水道
発祥の地
横浜


関内外国人居留地に明治時代から存在した横浜税関
(写真は現在の横浜税関)
安政六年(1859)、横浜が開港されるとともに、小漁村にすぎなかった横浜の様相は一変し、波止場の建設、居留地整備をはじめとして、開港地としてのまちづくりがはじめられました。
関内外国人居留地の居留外国人は、明治4年(1871)に1,071人でしたが、明治13年(1880)には4倍弱の3,937人と激増し、排水量が下水管の容量を上回りました。
その結果、各戸より出る汚水に混入した種々の固形物によりしばしば下水管が詰まって、居留している外国人から不満の声が出ていました。
また、明治10年(1877)から明治12年(1879)にかけて、死者が11万人にも達するコレラが全国的に大流行したこともあり、下水道の改修工事が行われることとなりました。

大下水
(横浜市・中部水再生センター)
下水道改修工事で使用されたのが、管の縦と横の比率が3対2の卵形管でした。
これは汚物を下水管に滞留させないように、流速を確保するため、勾配を1/200とし、また通水の少ない時にも流速が落ちないように形状を卵形としたものでした。
卵形管はレンガとセメントによってつくられた煉瓦管であり、口径の異なる3種の煉瓦管をそれぞれ大下水、中下水、小下水として幹線部分の陶管に代えて、建設されました。
改修工事は明治14年(1881)から明治20年(1887)にわたって施工され、煉瓦卵形管約4km、陶管12.6kmが布設されました。
この下水道が日本初の近代下水道と言われています。



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