東京下水道の始まり

1東京下水道の始まり

感染症から街を守るために作られた「神田下水」

明治10年以降、繰り返し我が国を襲ったコレラは、明治15年には東京府下で5,000人を超える記録を残すほど、猛威を振るいました。その惨状を前に下水道整備を痛感した明治政府は東京府に対して上下水道の整備を促す、「水道溝渠等改良ノ儀」を示達しました。

そして明治17年、当時人口が密集していた神田地区で下水道事業が開始されました。これが「神田下水」であり、一般市民の衛生や都市環境を改善することを目的に、近代工学に基づいて建設された、我が国初の近代下水道です。

神田下水は、下水道管の断面が鳥の卵を逆さにした形、「卵形管」になっています。卵形管は、管内に流れる下水の量が少ない場合であっても、水深が深くなるため、流速を確保できるため、ゴミが堆積しにくくなる合理的な断面の形となっています。

当時建設された下水道の一部は、関東大震災や戦災をくぐり抜け、着工から130年を経た現在でも、立派に下水道施設としての機能を果たしています。このうち、現存する神田下水の一部(614m)が、平成6年3月、東京都文化財(史跡)に指定されました。

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写真1 神田下水 内部(撮影:白汚零)

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写真2 旧三河島汚水処分場喞筒場施設

我が国最初の近代下水道施設「旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプ)施設」

旧三河島汚水処分場喞筒場施設は隅田川中流に位置する旧下水処理場施設で、東京市区改正事業の一環として、東京市技師の米元晋一を中心として建設が進められ、大正11年3月に運用を開始しました。
喞筒場施設は地下深くに流入してきた下水を地上にある水処理施設に送り込むため、下水をポンプで吸い上げる施設です

本施設は、我が国最初の近代下水処理場である旧三河島汚水処分場の代表的遺構として、高い歴史的価値が認められることから、平成19年12月4日に下水道分野の遺構では、初めて国の重要文化財(建造物)に指定されました。

旧三河島汚水処分場のうち、水処理施設は時代とともに最新技術へと更新されましたが、喞筒場施設は平成11年に稼働を停止するまで、阻水扉室、沈砂池などの一連の建造物が旧態を保持しつつまとめて残っており、近代下水処理場喞筒場施設の構成を知る上でも重要な文化財となっています。